3.あったかもしれない、素質(前編)

 「イマジナリーフレンド(タルパ)」を作ることができたという素質

今でも、病識がある状態に近づいたとはいえ「果たして自分は本当に統合失調症の診断でいいのだろうか?」と考えることはあります。ほかの統合失調症がある人のブログや記事をみると、私よりも混迷を極めていらっしゃる方というのは存在するわけで、比べてしまうことで『自分はもっと重い症状でないといけなかったのではないか?』『本当は元気に生活できるのに甘えているのではないか?』等々なやむこともしばしばです。
そういう時に思い出すのは、発症したきっかけの存在です。
ある意味、彼女(彼、でもあったのかもしれません)が『死にたくない』と言ったからこそ生きている面はあります。
その存在がイマジナリーフレンドの一種だとわかったのは、いなくなった後になってからでした。
今回の記事は、存在F(と以下記述します)がなんだったのか、どのように統合失調症の素質にかかわってきたのかを記述していきたいと思います。

イマジナリーフレンド、もしくはタルパとは

ほとんど同じようなものとして述べてきましたが、厳密には違うと記載されている記事もあり、何とも言えないところです。
イマジナリーフレンド自体は、幼少期の空想上の友人、という説明がよく用いられるでしょうか。それに似たものを大人になって意図的に作り出したものをタルパと呼ぶ記事もありますが、そうなると私の作った存在Fは、タルパと説明したほうが近かったのかもしれません。
参考にした記事も載せたいところではありますが、内容自体がバラバラである上に、作り方に関する記事はどのような人にとっても悪影響になる可能性があるので、記載はしません。

自分の場合(小さいころ)

小さい頃のイマジナリーフレンド自体は、もしかしたらいなかったのかもしれません。ですが、人形遊びで人形に感情移入することが得意であったり、空想や妄想(病的妄想でないほうの妄想として言葉を使用しています)は大好きでした。
今も完全に診断を頂いたわけではありませんが、小さかった頃はASD傾向が強めで、水たまりに石ころを投げ込む動作だけで1時間は動かなかったそうです。また、新しい本よりも同じ本を繰り返し読んだり、同じビデオを飽きずに見続けていたようです。
義務教育の間は、いじめに遭う等の問題も多少はありましたが、おおむね普通に過ごしました。3歳ごろから通っていた塾のおかげで、勉強もついていけていました。
成長してからも他の人よりも空想が大好きな面はありましたが、架空を現実のように扱うことはまだありませんでした。絵に描き起こすことや他者との会話といった発散方法が当時はなく、空想だけが激しかったことが、後々の影響にも繋がったのかも、と今になって思います。

一つの記事にまとめるには長くなりそうだったので、後編に続きます。

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