4.あったかもしれない、素質(後編)
この記事は 前編 の続きです。高校生になってからの記述になります。 勉強についていけなくなる 小中学生の時の私は、勉強についていけていました。もっと言えば、中学生の時は地方公立中学校(1学年で7クラスくらい)の学年上位の成績でした。これが崩れたのは、高校生の時でした。 3歳のころから塾に通っていたので、その時からの学習内容の先取りのおかげで、高校一年生のときはギリギリついていけていました。しかし、その高校が私立の進学校というのも要因の一つだったのでしょうか、2年生になってから先取り学習の貯金も尽きてしまい、もともと学習に熱心に取り組む理由のなかった私には、勉強が難しくなるわけです。 その頃を振り返っての自分像 今になって振り返ると、何も動機を持たずによくあそこまで勉強したなと思います。大学は自分でどうにか選びましたが、高校は実家から通える範囲で、なおかつ頭がよさそうなところ、とだけ認識して進学したので、テストの成績発表がされるたびに気分が落ちていったものです。どんどん学年内の順位が落ちていることを気にして、まるで学校でも自宅でも発言権がないかのように錯覚していました。 タルパの作成 初めは、自己を責めることからでした。周囲は学習に意欲的に取り組んでいて、自分はできていないことをダメなことだと思っていて、毎日自分で自分を責める言葉がぐるぐるしていました。 しかし、自分で自分を責めるだけなのは甘えではないか、という考えに至ります。それこそ当時の世間は、鬱で休むのは甘えではないという考えはまだ薄く、ずる休みをして回復することも自分の選択肢にはありませんでした。そうして私は、他者に自分を責めてほしいと思いました。タルパ作成の始まりはそういう理由からでした。 正確にはタルパと呼んでいいのかわからないものはできました。そして望み通りに毎日存在Fが私を責め立てました。存在Fがいなくなるまで、約半年近くはその状態を保つことができました。私の豊かな空想力と、共感力の乏しさがこれをなせたのだろうと思います。 その後 存在Fは半年ほどで消えてしまいましたが、私の思考が少し歪んでしまうには十分でした。その後の人生を現時点(執筆時28歳)までどうにか生き延びることはできましたが、各所でいろんな形で影響してくることになります。 また、高校を適当に決めたことに懲りず、大学もよくわからないままに決